ロンググッドバイ
私立探偵呼人の事件簿
2003.12月号

↑ 敬愛するM・スコセッシの前にて
○月×日
来年は年男〜!の巻
夕べは、サニやんと中西さん夫妻と、AIRの車谷くんという珍しい組み合わせでお寿司を食べにいった。
僕は気合いを入れて、タクシーで行って“飲みの体勢”で望んだのだが、最初のビールの小でノックアウト(笑)。
でも、ここで終われば男がすたると、日本酒も頼んだ。飲みやすくて「俺結構いけるかも!」と飲んでたら、急に「あれ?」と体にドーンと来て(笑)、しばらく大人しくなってしまった。でも、僕にしては結構がんばったな!!
車谷君とは、同じぐらいにお互いバンドやってたけど、あまり話す機会もなく、いつもレコーディングスタジオも一緒だったんだけど、そこでも顔を合わせる機会もなく、ここまで来たって感じだったんだけど、中西さんの粋なはからいで(笑)、ひょんな再会を果たし、色んな話をできて、楽しかった!
さて、今年も色んな事があったが、やはり早かった!
毎年、「今年こそは長く感じさせてみせる!」と意気込むのだが、終わってみるとやはり早い!
でも、今年はコンパクトアルバム2枚、シングル1枚と、がんばった!
普段から、“曲を書いて溜めておく”って事をせず、レコーディングが決まった時点で、集中して書くって感じなんだけど、曲書きモードに入ると、色んなアイデアが溜まって、増えていくんだけど、今年は特にそういう機会が多かったので、結構僕にしては溜まったと思う。これをまた形にするのが楽しみ。
この間、雑誌に清志郎さんのスタジオが映ってて、その中に『CRY BABY』の僕の顔のイラストが壁に貼ってある写真があって感激した。
そうだ、僕はあのキヨシローにイラストを描いてもらったんだ!凄いことだな〜!
凄い久々に車にあったゆずのアルバム『スミレ』を聴いた。
そこには、やっぱり普通のレコーディングスタジオでは味わえない、「CRY BABYスタジオ」の手作りの空気が漂っていた。
懐かしかったのと、またこれを越えるアルバムを作りたいなーって思った。
今日も秋葉原に行って、音が良くなるグッズをいっぱい買ってきたぜ(笑)。次はもっといいサウンドでいくよ!
そして、石垣島!
いや〜良かったなぁ。また行きたいな〜。あの空、あの太陽、あのサンセット....。目を閉じれば思い出す。うん、必ずいくぞ!
『KINDER BOOK』と、LAMAMAのGC。
新聞で読んだジョーストラマーの記事を歌にしようと思ったのも、曲書きモードに入ってたからだと思う。
アンテナが色んな方向に伸びてたっていうかね。そういえば、彼の遺作のビデオはジムジャームッシュが撮ってた。
その曲をなぎらさんが褒めてくれて、その後『フォーク私的大全』を読んでたら、そういう曲をトラディショナルフォークでは「トピカルソング(時事曲)」というそうだ。そういえば、ボブディランもそういう曲多かったな。
そういう意味では『アストロボーイ』もトピカルソングだ。
LAMAMAでは、そのなぎらさん、銀杏BOYZ、ミチロウさん、SUPER EGG MACHINE、大槻君とやったなー。
あの時の、呼人バンドの練習の集中力が印象的だった。すごく集中してたし、楽しかったし、あれ以来みんなとのコンビネーションがより“バンド”っぽくなってきた。そのムードが渋谷公会堂のGCにも繋がってったと思う。
そして、桜井との再会セッションから、ゆずの二人を加えた渋谷公会堂はやっぱ最大のイベントだったな。
今思い返しても、同じライブは2度とできないぐらい、魔法がかったライブだった。
まー何にしても、この俺が10年もやって来たんだぜ(笑)。この間中井貴一が言ってたけど、真田広之と会うたびに「オレ達よくここまで続いてるな」って言い合ってるらしい。みんなそうなのかなー。それにしても、10周年ライブが成功して良かった。桜井とゆずの二人に感謝!ありがとう。
振り返ってみると、色んな事があったんだ。そうなんだ、生きてる限り、“平凡”なんて事はないんだよね。生きてる事自体が凄い事なんだから。
来年は、年男。
そして、“10周年イヤー”。またたくさんの歓びを求めて、音楽の川を泳いでいきたい!
みなさん、よいお年を!
○月×日
ヨヒトアカデミー賞
今年は色んな映画を観た。
ヨヒトアカデミー賞を発表〜!!!
まず、主演男優賞は真田広之!
思えば、彼はジャパンアクションクラブ出身で、バリバリのアクションスターだったんだよね。
何かでも読んだけど、そこからの脱却は相当の重圧だったみたい。
脱却のきっかけは『麻雀放浪記』らしいが、とにかく存在感が凄い。「静」の演技。
僕もある意味、ビートパンク出身だったから、そのパブリックイメージからの脱却は結構、のし掛かってたな。
『たそがれ清衛兵』の最後、決して格好良くはない、暗がりでの決闘。あのリアリティーは、逆に真田広之のような運動神経の持ち主でないとできないと思った。クリント・イーストウッドが、自身最後の西部劇『許されざる者』を撮ったように、いつか真田広之の老いた、枯れた、アクション映画を観てみたい!
主演女優賞は『クジラの島の少女』の女の子。
ああいう演技は、一生に一回しかできないものだ。
『ニューシネマパラダイス』や『クレイマークレイマー』の男の子、『LEON』のナタリーポートマンなど、そういう“奇跡”をこの映画では感じた。
決して戻ることのできない時代への郷愁感もある。とにかく、久々に童話を読んだような映画に出会えた。
優秀作品、『座頭市』
この映画は、往年のファンには酷評だったけど(笑)、映画館を出た時久々に“男”になれた映画だった。
こういう感覚は『宇宙戦艦ヤマト』以来(笑)。昔の高倉健映画はこんな感じだったんだろうなーって思う。
チャンバラ映画を割り切って撮ったビートたけしに拍手!
最優秀作品、『クジラの島の少女』『たそがれ清衛兵』
正確には『たそがれ清衛兵』は去年の映画かもしれないので。でも、『たそがれ清衛兵』は感動したなー。
外国の映画祭では無冠だったのかな?う〜んあのワビサビは日本人だけの独特な感覚なのかも。
でも「日本人で良かった」「日本っていい国じゃん」っていう思いにさせてくれた作品だった。
山田洋次って人そのものが『たそがれ清衛兵』のように、派手じゃないけどコツコツと仕事をやってきた人なんだろうな。
年末年始用のDVDも買い込んだし(笑)、正月は映画三昧じゃ!
○月×日
ロス行脚
しかし、師走(笑)。
坊主も走るほどの慌ただしさ!あと、もう少しで今年も終わり。
小さい頃は、クリスマスから正月の間でさえ、長く感じたのになー。
というわけで、GC後ほどなくしてロスへ行ってきた。意外な事に初ロスだった。
初日、僕はスタッフと別便で行って、一人数時間早く着いて、先にホテルに入ったらすぐ寝てしまっていた。
というのも、機中一睡も出来なかったから。揺れに揺れたからね(笑)。
そして、スタッフの飛行機もなんだかんだで3時間遅れたので、結局ホテルで6時間寝てしまっていた。
これが、後に大きな痛手を生むことに(って言ってみたりして)。
スタッフと合流して、行ったレストランは、何とロバートデニーロ経営のレストラン。さすがハリウッド。
そして、客の中に真田広之もいた、数日後『ラストサムライ』のプレミアがあったみたい。「『たそがれ清衛兵』最高でした!」と声を掛けたかったが、迷惑なのでやめた(笑)。そして、問題の痛手はその夜一睡も出来なかった事だった!やはり、昼間に寝過ぎた。
なので、宮部みゆきの『あかんべえ』を読み始めたら、面白くてあっとう間に読んでしまい、日本から持ってきた本もあと2冊になってしまった、機中でも藤沢周平の『蝉しぐれ』を読破してしまったので、読む本がなくなるペースだった。数日後、リトルトーキョーに行って、宮部みゆきをまたまた数冊買い込む事になったけど。
ロスの印象は、牧歌的な街だなーって事。
ニューヨークのような、騒々しさはないし、かといってシカゴのような歴史もそんなに感じさせないし、割と歴史の浅い人工的な印象があった。
例えば、イギリス人が中心となって街を作ったらもっと、コンチネンタルな雰囲気になってたんだろうけど、ここはもともとメキシコだったのをアメリカが奪った土地なので、ちょっとメキシカンなムードが残ってるのかなー?ロス暴動とか、そういうイメージがあったのでもっと凶暴な雰囲気かと思ってたので、こののどかな感じは意外だった。でも、街を走ってるとビバリーヒルズみたいな地域と、ダウンタウンの殺伐とした地域とのギャップが激しく、『ブレードランナー』みたいに、将来的にはこういう世界がもっとハッキリしてくるのかなーと思った。世界的にもね。
今度は、レコーディングとかで行って、もっとロスのミュージシャンやエンジニアの人達と仕事してみたいな。
ニューヨークとは違う、この牧歌的な雰囲気がどういう風に音楽的にも違うのかを感じてみたい。
○月×日
10周年コメントへの御礼状 その22
ソロ活動10周年おめでとうございます。
10年前の僕は13歳。J(S)Wの頃から考えると何年前から寺岡サンを見続けているのでしょうか。
いつか一緒に呼人駅に遊びにいきたいです(笑)。これからもよろしくお願いしまっす!
<175R(SHOGO)>
《SHOGO殿》
SHOGO君が、数年前に福岡でやったライブに来てたっていう話を聞いて、「何処で誰が観てるか分かんないもんだ」って思いました(笑)。
SHOGO君のような世代の人が、何でバンドブームの頃を知ってるのかと思ったら、自分で中古レコード屋とかに行って探求したんだってね?
そういえば、峯田君もそうだったみたい。でも、そう考えると僕もそうだったな。僕の時代は田舎には中古レコード屋なんてなかったけど、SHOGO君の小倉、峯田君の山形、僕の福山みたいに、田舎の人達の方が情報が少ないから、貪欲に情報を探すのかもしれないね。
それにしても、一人探求の旅って孤独だよね(笑)。クラスでは流行の音楽しかみんな聞かないから、歓びを共有できる人もいないし「俺って変わってんのかな?」って思うようになるし、でもそんな探求が出来るのはそういう時期だけだったりするしね。それが、いつか自分の財産になったり、凄く影響されたりして、音楽的人格を形成していく訳だし、結局そういう探求をしてきた人がずっと音楽をやってる人達かもしれないね。
僕等の世代が「わ、モッズだ。ARBだ。シナロケだ。」って騒いでたのと同じように、いつの間にかジュンスカ、ユニコーンとかもそういう対象になりつつあるんだねー、信じられない(笑)。僕自身がいまだに「わ、チャボだ。清志郎だ。」って騒いでるからね!
でも、SHOGO君が宮田君たちのバンドをレーベルからリリースしたり、しょっちゅう飲んだりして親交を続けてることは凄く嬉しいです。
そうやって、繋がっていく事がいつか大きな幹になるんだろうし、僕等がやってきた音楽も伝わっていくしね。
しかし「呼人駅」を知ってるなんて、アナタマニアですね(笑)。
遠いよー。でも、本当に行けたら面白いね。向こうでジンギスカン食べよう!
では、175Rもこれからどんどん、いい意味で変化し続けてってください。期待してます。
ライブも観にいきますね!それでは、また!
○月×日
10周年コメントへの御礼状 その21
夏に渋谷ラママであったGolden Circleではとても貴重な体験をさせて頂きました。
最後に一緒にスターリンを歌ったね。打ち上げも、相変わらず僕らの周りには女の子が一人もいなかったけど色んな話が出来て楽しかったです。
また下北沢でソフトドリンク呑みましょーよ!銀杏BOYZはどうでもいいとして、映画は観に来てください。
<銀杏BOYZ 峯田和伸>
《峯田和伸殿》
峯田君、この間はお疲れさま。
東北出身の峯田君が下戸っていうのは、面白かったっす(笑)。下戸コンビだったね。
峯田君達は、RC、ブルーハーツ、ブランキー、ドラゴンアッシュと、僕の人生の中で「来た!」って思わせてくれた数少ないバンドで、もしも僕が高校生だったら絶対オッカケしてると思います(笑)。それを言うと峯田君は「そんな特別なバンドじゃないっすよ」って言ってたけど、やっぱり、世の中に出る“タイミング”とか“時代性”とか、どうしようも出来ないぐらい表舞台にひっぱり出される運命の人達っている気がするんだよね。
坂本龍馬とか、吉田松陰とか歴史の人達見ても、あのタイミングと時代じゃなかったら、ただの田舎侍で終わってたもんね。
特に峯田君は清志郎さんが出てきた時のような“カルチャー”を感じます。
逆を言えば、一過性のカルチャーではなく、清志郎さんみたいに、これかもず〜っと長くやってくカルチャーであって欲しいし、どういう風に変化していくのか、遠くから楽しみに見てますよ。俳優っていうのもありだろうし(まだ映画観てませんが!)、小説家でもいい。でも途切れなく音楽もね!
そうそう僕の新曲『競争る為にだけ〜』は銀杏のライブを観て触発されて作ったんだよ。
ジュンスカも言われてたけど、今の峯田君達は“青春パンク”って言われて、ひとつのブームでくくられてるけど、こういうカテゴリーから脱却させるのって、結構大変だと思うんだよね。自分たちの好きな事やってきただけなのに、勝手に誰かとひとくくりにされてね。
それでも、僕みたいな年の奴が影響されて、自分なりの青春ロックを作った訳だし(笑)、続けていけばきっとそのカテゴリーは何年か経てば、峯田君達だけのモノになると思うんだよね。だから、これからもそのスタイルを貫いてってください。「もう体力ないっす」って言ってたけど(笑)。
では、また下北に行ってソフトドリンク飲みましょう!
○月×日
10周年コメントへの御礼状 その20
ソロデビュー10周年、おめでとうございます。
記念すべき“10年”という区切りの時に、いろんな事を一緒に感じながら音楽を創っていられる今を幸せに思います。
素朴で繊細で優しい呼人さんの人柄と、呼人さんから生まれてくる音楽がいつまでも沢山の人たちに愛され続けますように。
また居酒屋、行きましょう!
“語り”につき合ってください。
いつもいつも、私の言葉に耳を傾けて下さる呼人さんに心から感謝!です。
本当におめでとうございます。
<矢野真紀>
《矢野真紀殿》
あの居酒屋、最近行ってないっすねー。
あそこの鮭はらすは思い出すだけで、よだれが出ますねー。
そういえば、「夜曲」の評判はどうでしょうか?キャンペーンとか行ってるんですよね。
今年最大の思い出はやはり、仙台への“おっかけ”ですかね(笑)。
あの道中は楽しかったなー。何しろBGMがジュンスカ(笑)!。丁度トリビュートが出た頃か。
かれこれ、一緒に2年以上も作品を作らせてもらってますが、ゆずにしても藤木君にしても、デビュー時からやってきて、初めて矢野さんがキャリアがある人で、やはり、思った以上に大変だなーと、回を重ねる度に思いますね。プレッシャーが(笑)。
ただ、薬やお菓子と同じで、開発者の事まで気にして食べたり、飲んだりする人はいないからね。
一開発者として、僕なりに試行錯誤してやってます(笑)。
もうデビューして4年ぐらいですか?
僕の統計上、3年、5年あたりに山がくるんですよ(笑)。
で、5年目をどう乗り切るか、ここがポイントです。多分...。なので来年は気合いを入れて乗り越えてください(?)。
これから、ツアーがあるそうで、がんばってください。
それでは、また近々!居酒屋も(笑)。
○月×日
10周年コメントへの御礼状 その19
呼人さん、ソロ人生10周年おめでとうございます!
よく「10年一時代」と言いますけど、僕が見る限り、呼人兄さんは、常に区切りなく走り続けててサスガです。
2年前にG.Cに呼んでもらって以来、いつもかわいがってもらってますが、お会いする度に、その都度「今の堂島くんって○○な気分で音楽やってるよね」と、あまりにも的確な指摘をされ、その鋭さにビックリします。
それと共に、何気ない呼人さんの一言を、勝手にアドバイスと受け止めてたりします。
なんかすいません。いつもありがとうございます。
また共作させて下さいね!今後もよろしくお願いします!
<堂島孝平>
《堂島孝平殿》
堂島君、お元気ですか?
堂島君がKinki Kidsに曲を書いてるのって、昔山下達郎さんがマッチに曲を書いた時のような格好良さがあるよね。
なんか、異種格闘技なんだけど、敢えてしっかりしたポップスを彼ら(ジャニーズの人達)が歌う事によって、その効果が倍増するような、ね。
それぐらい、堂島君の曲には“根っこ”を感じます。最近いないのよ、“根っこ”を感じる人が(笑)。
そういう、堂島君の曲の遍歴を見てると、自分と凄く重なる部分もあって、だから時々「○○な気分?」って聞いたりしてんだろうけど、でも僕と決定的に違う所は、僕はバンド出身で、堂島君は最初っから一人だったもんね。だから、その年でその境地に行ってるっていうことを考えると、末恐ろしいっす(笑)。
あと、いつも思うのは堂島君、頭いい!
これは、勉強ができるとかっていうんじゃなくて、頭の回転が異常に速いと思う。
これは、クリエイターにとって最も大事な部分だと思うんだよね。その中でも堂島君は群を抜いてる!
だから、この“頭の回転の速さの秘密”をこれから、徐々に解き明かしていきたいと思ってます(笑)。
もう、堂島家の歴史から、家族関係、すべてチェックするので、宜しく。
あとさ、僕もソロになってみて分かるんだけど、ソロアーティストって孤独だよね(笑)。
多分、バンドやってると「ソロの奴等はいいなー」って思うんだろうから、無い物ねだりなんだろうけど。
これは昔ユーミンが言ってたんだけど、「私はソロアーティストだけど、でもツアーが終わる度に、解散するバンドのような気分になる」「今回やってたメンバーが次のツアーからいなくなると、ひどく落ち込むし、でもリセットしてやるしかない。これをもう何十年も繰り返してきた」って言っててさ、こういう気持ち凄い分かるよね?特に僕はバンドやってたから、バンド出身組んでると、もう「いて当たり前」だったから分かんなかったけど、今はよく分かる。
これからも孤独なソロアーティスト同士、片寄せ合って生きていこうね(笑)。
あと、最後に○○な気分をひとつ予言すると、今凄いチームっぽくやってるじゃない?音楽を。
またそろそろ、宅録っていうか、一人籠もって音楽を作る方向にいきそうな“気分”になっていく“ような?”気がします(笑)。
○月×日
10周年コメントへの御礼状 その18
おめでとうございます。
ゴールデンサークルはとても楽しかったです。
あのイベントがFTK&Kというバンドをやるきっかけにもなり、とても想いで深いです。
またなんかあったら呼んでください。
<田中和将(GRAPEVINE)>
《田中和将殿》
ご無沙汰です。お元気ですか?
僕は昔から“RC好きは無条件で信じる”という信念を持ってまして(笑)、初めて田中君の事を知ったのは、「ぴあ」の連載か何かで田中君が清志郎さんの事を好きだ、みたいな事を書いてて、その文の感じも含めて即座に「いい人だぁ」って思った次第です(笑)。
後、デイリーエコーというグループが同じ事務所にいて、GRAPEVINEと同じレコード会社だったみたいで、デイリーエコーのライブに行って、関係者乾杯の時にレコード会社の人が挨拶で「えー本日はGRAPEVINEのライブにお越し下さってありがとうございます」と、本気で言ってたのが印象に残ってます(笑)。
実際会ってみると、もっと線の細い少年っぽい人かとイメージしてたんですが、背も高くて、男っぽい感じでした。
それと、やっぱシャイでしたね(笑)。人の事言えないんだけど。
でも、ライブが終わって、打ち上げの時初めて色々話せて、「本当に楽しかった」って言ってくれて嬉しかったですよ。
バンドって長くやってると、色々な事をしたくなるよね。僕もソロツアーとかやったし。
でも、余りやりすぎると本業の屋台骨がぐらつくので、気をつけてください(笑)。
だけど、そういうのが拡がって、GCみたいな事をやってもらいたいっすね。これは人見知りには過酷な作業なんですが(笑)、鍛えられますぞ。
田中君達は凄く、伝統のあるロックンロールが好きみたいだし、そういう人がどんどん減ってく中で、凄く大事な事だと思うんですよ。お互い伝統のロックンロールを少しずつ広めていきましょう。フランシスコ・ザビエルのように(?)。そして、今度はゆっくりRCの話がしたいですね!
○月×日
10周年コメントへの御礼状 その17
10周年おめでとうございます!いつもかっこいい呼人さん
僕たちのCDのレコーディングの時のやさしいアドバイス忘れません。
また曲かいてください!
<ネプチューン(名倉潤・原田泰造・堀内健)>
《ネプチューン殿》
みなさん、お元気ですか?
原田君とはこの間、カフェで偶然会ったよね。なんか、いきなりだったから余り話せなかったけど。
でも相変わらず、テレビでよく観ますよ。
最初のみんなの印象は「あ、意外とテレビと普段と変わりない」って事でした(笑)。
でも、これって結構珍しいんじゃないかなって思うんですよ。「お笑い」の人でも、普段は全然テレビで見せる雰囲気と違う人もいるじゃないですか?っていうか、そっちの方が多いと思うんですが...。特にホリケンは“まんま”だったのでビックリだったよ!
でも、その“まんま”の中に、メチャクチャ真面目な面も発見できて、そういうのも新鮮だったな。
とにかく、ちゃんと「お笑い」の人と仕事をするのはネプチューンが初めてでした。
何で、ネプチューンの仕事を引き受けようと思ったかっていうと、丁度プロデュースというものを始めたばかりで、「とにかく今は色々勉強したい」っていう時期で、「ネプチューンとだったらどんな音が作れるかな」って思ったのと、昔YMOが小林克也さんなんかとスネークマンショーっていうレコードを出したりしてて、そういうのもやってみたいと思ったからです。実際アルバム『君とケツカッチン』はかなりスネークマンショーっぽいアルバムになってると思います。
しかし、あのアルバム(笑)。僕の仕事史上一番大変だった!
まず、曲数が30曲近くあるっていうのと、本人達のスケジュールが取れなくて、歌入れが最後の方になったので、最後まで曲の形が見えないまま進行して、不安だらけだったのと、マーチなど、今までの僕がやったことのないサウンドにも挑戦しなくちゃいけない事があったからです。
確か、あれは夏のレコーディングだったと思いますが、終わった後はボロ雑巾状態でした(笑)。
「もう絞っても何も出ません」って感じ。
でも、あの経験があったので、あれからどんなサウンドをやるにしても自信がついたような気がします。
それから、テレビにも出たねー(笑)。『力の限りゴーゴゴー』って番組(もうない....よね?)。
あの時のみんなの「お笑い魂」は尊敬したよ!カメラ廻るとテンション上がる上がる(笑)!
そして、『日本人は胃腸が弱い』っていうロックンロールの名曲も作ったねー。あれは本当に偶然出来て、“やらせ”じゃないもんね!
「お笑い」も「音楽」も表現方法は違っても、ある意味同じだよね。
でも、「お笑い」の方が、鮮度を保つのが大変な職業だと思います。なんとなく。テレビという、使い捨てのメディアが主な舞台というのもあるだろうし、流行語みたいな所もあって、新しい流行語の方が面白いって思われる所もあるし(そういうムードを作ってんだろうけど)。
でも、音楽でもそうだけど、かまやつさんみたいに舞台にあがるだけで、もう雰囲気が出てしまうように、「お笑い」でも舞台にあがるだけで、とても深みのある笑いの雰囲気がでる人もいるはずで、僕はマルクス兄弟とか、エノケンも好きなんだけど、寅さんのような“マンネリの笑い”って凄い好きなんですよ。「鮮度」なんて落ちて当たり前で、続けていく事によって、何かその人しか出せない「味」が出てきて、そこからが本当の個性になっていくと思いませんか?
僕も、バンドブームの喧騒の中から勢いでここまで来て、ネプチューンもフジテレビのお笑い番組の中から勢いでここまできた訳で、お互いこれから本当にやりたい事がやれる時かもね。なので、これからも応援してるので、がんばってね!
○月×日
10周年コメントへの御礼状 その16
呼人さん、10周年おめでとうございます!
音楽や映画やいろんなものにこだわるその生き方、今でも僕の目標です。
呼人さんが創り出してくれた僕の音の世界も少しづつ転がっていってます。
競走る為にだけ生まれてきた訳じゃねぇとおっしゃってますけど、これからもいろんなかっこよさを詰め込んだまま突っ走ってください!
<藤木直人>
《藤木直人殿》
藤木君、お元気ですか?っていうか、疲れてませんか(笑)?
って言いたくなる程、色んな所で見かけますよ、最近。
この間、GCをやった数日後レコード屋に行ったんだけど(『ナウシカ』買いにね)、レジが凄い混んでてイライラしてたら、レジの後ろにあるテレビモニターで藤木君が歌ってて(DVDかな)、よく観たらギター一本で『陽のあたる場所』を歌ってたんだよね。
GC終わったばっかだったけど、「あ、ここにも(Golden Circle)がある」って思ったよ。
一番最初に会った、あの恵比寿の中華料理屋で「これからは、地面の土を拾って自分で顔にかけて、どんどん汚して行く感じがいいんじゃないかな」って言ったんだけど、いきなりの対面で変な事言ったよね(笑)。何か閃いたんだよね、そのイメージが。
どんな世界でも、“長くやっていく事”が大事だと思ってて、「その為にはどうすればいいんだろう?」みたいな事を、僕はある時期から常に意識するようになってたみたいで、だから反射的に「〜時は〜すればいいんじゃないか」みたいな事が出るようになって、それであの時ああ言ったのかもしれないです。
でも最近の藤木君の顔は、いい感じで無駄なものが落ちたいい顔になってるなーと思います。
それは、そうと三十路になった?
なったんなら、もうこっちの仲間だぜ(笑)。
最後に話したのは、確か僕の家でやるパーティーに誘う電話だったね。
あれ以来、何度かそういうのやってんだけど、「忙しいそう」と思って誘ってなかったたんだけど、やっぱ忙しい時こそ遊ばないとダメだからね(笑)。
今度また誘ってみます。
では、また会える日を楽しみにしてるよ。それでは!
○月×日
10周年コメントへの御礼状 その15
便りのないのは元気なしるしと申しますが、たまには連絡してください!
でもニュー・シングルの声は元気そうでした。
<奥田民生>
《奥田民生殿》
思うに、民生ッチは武田信玄だよね(笑)。
“動かざること山の如し”って感じ。あと今『坂の上の雲』読んでて、東郷平八郎とか、大山巌とか、まー二人とも薩摩、つまり西日本なんだけどさ(笑)、彼らはねー、全然動かないのよ。どっしりとしてて、大山巌なんて「何かあったら呼んでくれ」ってな感じで、戦闘の時でさえ部屋にいて、寝てたりして、何かこういう総大将的な器を民生ッチには感じるんだよね。きっと、政治家になってたら間違いなく総理大臣なってる!今からでも遅くないよ(笑)。
10年、20年平気で連絡取らなくても、何か全く変わらない雰囲気で「何やっとる?」とか言ってそう!
広島人の一番かゆい部分....これは広島人しか分からないと思うんだけど、自分をアピールするのが不器用で、でも近づきたくて、みたいな愛すべき部分(人によっては理解してもらえない部分でもあるんだろうけど)、「俺が」「俺が」みたいな所は全くないんだけど、その分人の気の引き方を人一倍気をつけてる....そんな広島人気質を民生ッチは持ってて、それが見事に音楽に昇華してるのが凄い。
後ね、これはチョット気恥ずかしいが、民生ッチは圧倒的に“優しい”んだよね。
これは、前にも書いたけど、目に見えない“優しさ”。なんちゅうの?、普段連絡も取らないし、たまにメールしても返事は必ずと言っていいほど、10文字以内だし(笑)、かなりあっさりしてるじゃん。でも、もっと目に見えない深〜い懐の部分での愛情があるっていうかね。
いや〜、総理大臣になった方がいいよ(笑)。その懐で!
思い出はたくさんありすぎるから、余りここでは書かないけど、昔長崎のユニコーンを一人で観に行って、夜そのままバスで移動する事になって、そのバスに同乗させてもらう事になったんだけど、みんなライブ後だから疲れて寝始めるんだけど、民生ッチだけ何気な〜く話しかけて来てくれて、結局寝ないでずっと喋ってたの....絶対覚えてないとおもうけど(笑)、あの頃まだそんなに仲良くはない頃だったから、「気を使わせて悪いな〜」って思いながらも嬉しかったし、あれから仲良くなり出したんだと思うんだよね。あの“何気なさ”感が、染みるんだよ、民生ッチは。
でも何だかんだいって、オレ達もう知り合って15、6年経つね〜。
また“何気なさ”感を求めに会いにゆくよ。それじゃーね。
○月×日
10周年コメントへの御礼状 その14
ソロ10年おめでとう。
いつもなかなか都合がつかなくてごめんね。
またどこかでいかれたJAZZの話でもしよう。
じゃあ、次の10年へ行こうぜ。
<真島昌利>
《真島昌利殿》
マーシー、お元気ですか?
最後に会った(見た?)のは、チャボさんのライブででした。
この間、桜井とゆずの二人と、僕の家で“フォークの夕べ”っていうのを開きまして(笑)、色んな歌を歌って盛り上がったんですが、桜井が歌った『アンダルシアに憧れて』は絶品でしたよ!ゆずの岩沢君もマーシーの大ファンらしく、しばらくマーシーの曲コーナーになりました。
思えば、友部さんを知るきかっけになったのはマーシーだったし、マーシーの歌に出てくる原風景だったり、映画の一コマのような詞の世界、ブルースやロックンロールに対する恋愛に似た真っ直ぐさに僕はもの凄く影響を受けてます。
もし、マーシーが明治時代に生きていたら、間違いなく文壇の世界に身を投じてたと思うんですよ。
逆に言えばあの頃、ロックンロールがあれば、中原中也なども間違いなく音楽をやってたでしょうね。
そして、今の日本の僕等の世代でそういう“詩”を感じさせてくれるのはマーシーしかいない気がします。
思えば最初にラママでブルーハーツを観て以来、大好きになり、偶然ヒロト君の家に近いという事もあって、何度か遊びに行って(しかし、僕はデビュー前のただの大学生、でもヒロト君はフランクに色んなレコードを貸してくれた!)、時々マーシーも来てましたが、一言も言葉を発せず(笑)、ジュンスカに入った後、山中湖の合宿スタジオで一緒になって、他の3人はスタジオに遊びに来てくれてもマーシーは来ず、イベントで一緒になっても、楽屋から出ず、「なんちゅう、ストイックな人だ」「いや、嫌われてんのか?」とか、色んな憶測が飛び交いました(笑)。
そんなある時、大阪でブルースセッションに呼ばれる事になって、ヒロト君とマーシーと共に、僕もそのセッションでベースを弾くことになり、その楽屋で初めて会話をした記憶があります。あん時は嬉しかったなー「あ、やっと話してくれた!」みたいな(笑)。
それから、雑誌の対談をしてもらって、あの時、バイクでやって来て“あ、歌の通りだ”って思ったのと「バイクの振動ってロックンロールなんだよ」って言ってたのが印象的でした。それと、僕がやってるTVKの番組にゲストで来てくれたり(僕が司会してるなら、って事で出てくれたとスタッフが言ってました)、何度か一緒になれました。その内、だんだん逢えなくなってしまったんですが、ハイロウズの曲を聴いたり、友部さんから話を聞いたり、いつも気にしてました。
曲を聞く度に思うのは、“曲や詞や音が年を取ってない”事です。
逆を言えば、普遍的な世界を作ってるって事なんでしょうね。チャックベリーが『Sweet Little sixteen』や『ジョニーBグッド』などのティーンエイジの世界を70才を迎えても歌える格好良さ。それが“曲や詞や音が年を取ってない”ロックンロールですよね。
マーシーにはこれかも、日本のロックンロールを導いてもらいたいです。
それでは、また会える日を楽しみにしています。
○月×日
10周年コメントへの御礼状 その13
オシャレな呼人くん、
君の力で「イキな歌」を復活させてください。
<小林武史>
《小林武史殿》
何気ない一言がその人にかなりの影響を与え、その後の人生を大きく変える事がありますが、僕が桜井に「小林武史さんっていいんじゃない?」って言った一言。それを彼がどのように受け止め、今日に至ったのか、聞いた事もないですし、話した事もありませんでした。
この間のGCの関係者打ち上げの時「呼人君は色んな一言を言ってくれ“小林武史さんっていいんじゃない?”とか“......”とか(オフレコっす)〜」って話してたので、やっぱり大きかったのかな〜と思いました。本当に何気ない一言って凄いっすね(笑)。
あの頃って、バンドブーム全盛で“音は歪んでなんぼ”みたいなムードがある中で、小林さんの音は新鮮でした。
“もっとちゃんと音を聴かせようよ”って言ってるような音といいますか....。
恋愛もタイミングと言いますが、小林さんの音も、ミスチルも、才能プラス、物凄い時代のタイミングにアジャストしたような気がします。
この先もどんなマジックが起きてゆくのか、これかも小林さんの「イキな音」の世界を楽しみにしてます。
それでは、またお会い出来る日を楽しみにしています。
P.S.
最後に忘れられない何気ない一言を。
小林さんにミスチルのライブの感想聞かれた僕は慌てて「最後の大円団が凄かったっす」って言ったら、「それ、大団円だろ」と一言(笑)。
これ、いまだに思い出して、苦笑いしてます!!
○月×日
10周年コメントへの御礼状 その12
「競走する為にだけ生まれてきた訳じゃねぇ」と僕自身も思っている訳で
多分そう思っている奴がすごくたくさんいるよネ?
時代が無駄な競走を強要するから自分自身でコントロールしないとネ!!
いつも呼人さんの詞曲で何か考えさせられます。
<ムッシュかまやつ>
《ムッシュかまやつ殿》
もう、かまやつさんの口から「競走する為にだけ生まれてきた訳じゃねぇ」と出てくる事自体に感動します!
というか、粋です!僕の好きなかまやつさんはやっぱり生粋の東京人なんです。
地方から出てきて大成功した、どんなお金持ちにも持てない、粋な感じ、それをいつもムッシュに感じます。
あの60年代、六本木に集まる当時最先端だった若者や、三島由紀夫、丹下健三などの文化人が持つエネルギーはどんなだったのですか?
そういう六本木族と呼ばれる中にかまやつさんはいて、スパイダースに入ったんですもんね。かっこいい。
僕が常にリスペクトするのは、かまやつさんのその生き方です。
スタイル云々ではなく、やはり“ブルース”を感じるのです。そして、グループサウンズ時代から今まで、常に時代の中に現役でいる。これは凄い事です!今では沢田研二さんとかまやつさんぐらいではないでしょうか?それでもかまやつさんの素晴らしい所は、その時代その時代の人達とセッションしてる所です。
この間「笑っていいとも」で、かまやつさんはラッパーのジブラさんを紹介してました。
それがとても自然にできるのは、もうかまやつさんしかいません(笑)。
本当はそういう人達が山のようにいれば、日本の音楽はもっと成熟するんですけど。
初めて野音のイベントでお会いして、もう12年程経ちますが、あれから数年後の『Smile a go go !』のレコーディングの時は印象的でした。まず、かまやつさんに詞を書いてもらおうと、お願いして、ある日自宅にファックスが届いてきて、かまやつさん手書きの詞が書いてありました。
何でも古いヨーロッパのことわざを歌詞にしてみたとか。やはり“粋”を感じましたね。
その後、六本木のアトリエなる、かまやつさんの隠れ家に招待してもらった時もよく覚えてます。まるで、子供部屋のようなヤンチャな雰囲気で、これも“粋”でしたよ!何か男の寂しさと少年性を兼ね合わせた部屋でした。
GCに出て頂いた時、僕のリクエストでやってもらった『どうにかなるさ』の前に「この曲はどうやって生まれたんですか?」って聞いたら、「当時バンドも終わって、これからどうしようって考えてた時に出来た曲」って言ってて、僕は自分にも重ね合わせながら一緒に歌いました。
あの曲は大好きで、僕の新作『酔いどれ天使』の着想の源にもなってます。
これからも、その粋な生き方で日本の音楽を浄化してってくださいね。
『恵比寿ビール』のCMの歌もカッコイイし、菊川怜とスーツを着て『バンバンバン』を歌っていても、何の違和感もないのは、そういう生き方をかまやつさんがしてきたからなんでしょうね。それでは、またお会いできる日を楽しみにしています。
○月×日
10周年コメントへの御礼状 その11
ソロデビュー10周年おめでとうございます。というか、もう10年になるの?
ソロアルバムを手伝ったのってつい最近だったんじゃなかったっけ?
そういえば、その後プロデューサーとしても活躍してきたもんな。やっぱり10年なんだねえ。
はやいもんだ。僕が初めて出会ったのは、ジュンスカイウォーカーズのほとんど最後くらいのアルバムでだったけれど、あの頃の寺岡君はほかのメンバー
とどこか違うのりで、なんとなくそれが僕のバンド時代の自分とだぶるところがあって、妙に親近感を覚えた記憶があります。こんなことをいうと嫌がるかもし
れないけれど、いつもどこかに着地点を見つけようとするところなんか、とても似ていると思った。
まあ、だからソロになったのは必然だったんだろうね。これからもかっこいい音を作り続けてください。
<松任谷正隆>
《松任谷正隆殿》
松任谷さん、ご無沙汰してます!
最後にお会いしたのは、去年の逗子マリーナでした。相変わらずのユーミンのステージは最高でした。
もし、「プロデューサーとして、一番影響された人は?」と聞かれたら、僕は真っ先に松任谷さんの名前を挙げます。
未だに僕は、誰かとセッションする時、松任谷さんがスタジオで放つ“空気”、あの“空気”を求めているような気がします。
言葉ではとても説明できませんが、テンポだったり、間だったり、音に対する反応だったり、とてもどっしりしていて、ゆったりしていて、音楽を創っていく“空気”が澄んでいて、何だかあの高貴なムード.をどの現場でも出せたら....と今も追いかけてます(笑)。
百聞は一見にしかず、その説明できない“空気”を少しでも体験できた事は本当に大きかったです。
職人の弟子になって、ずっと師匠の作業を見て、覚えていくような感覚でしょうか...。
とにかく、最初のインパクトは強烈でした。
打ち合わせで、候補曲を聴きながら「この曲って色でいうと何色かな?」と松任谷さんが言った時、「こ、これだ!」と思いました(笑)。
それまで、音を「色」でなんか表現したことないし、例えた事もなかったので、それはそれは面食らいました。
そして、レコーディングでもそれまでバンドのメンバーしか一緒にセッションした事なかったのに、吉川忠英さんを始め、シンセオペレーターの人がやってきたり、新鮮でしたね。そして一番は僕の曲『チビは寝ている』のオーケストラのレコーディング!これには感動しました。
松任谷さんはもっと理論的に緻密にユーミンのレコーディングをしてると思ってましたが、むしろ今のミュージシャンよりも直感的に音楽を創ってるような気がしました。子供が真っ白のキャンバスを与えられた時のようなヤンチャさや、自由な表現。そんな感じでした。
あれから、憧れのユーミンゆかりのミュージシャン、高水健司さん、林立夫さん、松原正樹さんなどとレコーディングさせてもらい、当時のユーミンのレコーディング秘話を聞き出していても(笑)、その直感的な現場の雰囲気を知る事ができます。
そういう意味では20年かけて、ユーミンサウンドの謎を解いてるのです(笑)。
僕が高校時代、最も影響されたのは、RCとユーミンでした。
これは正に、僕等の世代独特の趣向ですよね。フォークも、ニューミュージックもロックもパンクも同時に入って来ましたから。
高校2年の時、初めて倉敷にユーミンを観たときの衝撃は忘れません(笑)。『DA.DI.DAツアー』です!あんなステージ、観た事もなかったし、もう口をあんぐり開けたまま家に帰りました(是非DVD化してください!)。でも、レコードを聴けば、とても内省的で、私小説を読んでるみたいで、映像が浮かんで、何だか色や空気まで感じるようで、「一体どういう仕組みなんだ?」という謎が頭に渦巻きました。ジュンスカに入って曲を書き始めた頃、ピアノを覚えようと最初に買ったのがユーミンの全曲集でした。そして、聞き慣れた曲を弾きながら、コードやコード進行を覚えていきました。その全曲集は今も家にあって、時々開きます。それがすべての教科書でした。今、アレンジをする時、キーボードを弾けるのはその教科書のお陰なのです(笑)。そして“好きな感じ”の音の方向っていうのもこの頃決定されたと思うのです。
ソロになって、松任谷さんに手伝って頂いた経験がなければ、今の僕は全く違った方向へ行ってたかもしれません。
一言で言えば、松任谷さんには“品”があって、それはもう持って生まれたものなので、真似はできませんが(笑)、その“品”の息吹を感じる経験が出来たので、今僕なりの“品”を自分の作品を始め、他の人達とのセッションでも根底に持ってようとしてると思います。
松任谷さんは常々、「ポップスはテクノロジーと共にある」とおっしゃってて、最新のテクノロジーを駆使してきて、僕はどっちかというと今はアナログ懐古趣味の方へ走ってるような気がします。それはやはり、あの黄金のユーミンを始め、70、80年代の音がどう考えても最高の音に感じるからなんです。
今テクノロジーが進化してるのか退化してるのかよく分からなくなる事があるんです。これが、正しいとか間違ってるのかは分かりませんが、今はこの手法を自分の中に染みつかせる作業が大事な気がしてます(輪をかけるように、最近アルファスタジオにもあったというApiのコンソールを買いました!)。
どんな形になるか分かりませんが、また松任谷さんとセッション出来る日を楽しみにしています。
それでは、お元気で!
○月×日
10周年コメントへの御礼状 その10
呼人くんソロデビュー10周年おめでとうございます!
実はボクもソロになって10年目なのです。
だからついでに自分にもおめでとう、と言っちゃおう(笑)
しかし考えてみるとソロになってからの10年というのはものすごく早かったような気がします。
再び一からやり直すような気持ちで始めたせいかも知れませんが、とにかく必死だったなぁと思います。
でも、その必死さがなくなったらおしまいで、いつもこれでいいんだなんて立ち止まれないのが宿命かも知れません。だからお互いこれからも10年前の気持ちを忘れずにがんばりましょうね!またどこかで一緒にやれるのを楽しみにしています。
<遠藤ミチロウ>
《遠藤ミチロウ殿》
「おい、ミチロウが来てるぞ!」
ジュンスカにいた時、ライブが終わって、楽屋挨拶の時、メンバーが口々に興奮して耳打ちし合っていました。
そう、彼らにとっては楽屋にミチロウさんが来てる事が大事件だったのです。
彼らより2、3年年下の僕はといえば、「そうなんだ...」って程度でした。というのも、高校生の頃の2、3年というのは大きくて、聴く音楽もかなり変わるのです(ま、だから日本の音楽は続かず、流されてしまうんですが)。僕にとってのスターリンはただ、ただ“怖い”(笑)イメージでした。
2年ぐらいの先輩が文化祭でやってるのを聴いても何だか怖かったし、その先輩がしてるヘタなメイクも更に怖かった(笑)。
だから、僕がミチロウさんに急接近したのはお互いソロになってからですよね。
ミチロウさんは、何故かツアーで福山でやる時は僕の実家に泊まり、あまり面識ないのに母親が電話してきて「今、ミチロウさん泊まりに来てるよ」とルンルンで言ってきた時、思わず「か、母ちゃん、その人ライブで豚の臓器投げる過激なパンクロッカーなのよ、知ってんの?」とツッコミそうになりました。そして「チョット変わる」と言って、急にミチロウさんが「こんばんわ」って出て、何だかぎこちなく会話しましたね(笑)。
何でも、母親に言わせると「ミチロウさんは楽しい人で夜中まで語りあった」との事。びっくりしましたが、友部さんを始め、70年代の若者ってヒッピーっぽいスタイルや、今で言うバックパッカーみたいな事をしてた人が凄く多いイメージがあって、どういう環境へでも入れる逞しさを持ってる気がしてるんです。それって、今の僕等にはなかなかできなくて、そういうムードも羨ましい気がしました。
そんな縁もあって、高円寺のライブハウスに呼んで頂きました。あれはソロになってすぐの頃だったと思います。
あの時聴いた『天国への扉』と『ミスターボージャングル』は印象的でした。
その後、ミチロウさんの書いた全国のライブハウス紹介の本を読んだのですが、あれは面白かったです!
あの頃、年に100〜150本ツアーを廻ってたんですよね。凄いとしか言いようがありませんが、この間久々に観たミチロウさんのライブでは、そういう年輪を重ねた音が鳴っていました。いつか、僕もそんなツアーやってみたいです。
そして、ミチロウさんも10周年なんですよね?おめでとうございます!!
なんだか一緒に祝うのは忍びない感じがしますが、お互いこれからもがんばりましょう!
それでは、またお会い出来る日を楽しみにしてます。