ロンググッドバイ
私立探偵呼人の事件簿
2002.12月号
矢野真紀『この世界に生きて』
プロダクション・ノート by 寺岡呼人
○月×日
2002年12.31。下北にて
今日で2002年が終わる。
そんな日に僕は何故か下北の喫茶店でロングを書いている。
この喫茶店のすぐ近くのアパートに住んでた事があって、この喫茶店はよく知ってる。知ってるんだけど、当時は自分にとっては高級過ぎて滅多に入った事はなかった。そのアパートはもう無くなってテナントが入ったマンションに変わっていた。
当時はこの辺りは全然開発されてなくて、寂れた感じだったのに今や原宿化されて、凄い人通り。あの頃の感じの方が好きだったけど、でもこうやって街は変化をし続けて、そしてこれからも変わってゆくんだろうな。
そして、この街を離れて15年。19才のオレ、34才のオレ。2002年の大晦日にここを訪れるっていうのも何かの縁かもしれない。
当時はセンター街でバイトしてて、帰るのが毎日夜の10時で、歩いて3、4分も歩けば中古レコード屋がいっぱいあって、毎日のように通って、何が入荷してきたかすぐに分かって、バイトのお金を殆どつぎ込んで買って帰っては、膝を曲げないと座れない6畳の部屋のスペースで買ってきたばかりのレコードを聴きまくっていた。うん、きっとやれる事と、できる事がシンプルだったんだな。幸せな時間だった!
バイトしてるときは「こんなバイトしてる時間があったらもっとレコードをいっぱい聴いて、曲でも書ける!」とか、色んな不満があった。でもその時間がまた今となっては大切だった気もする。結局時間があっても何もやってなかっただろうし(笑)。
19才の僕は学校も行ってなければ、バンドも組んでなく、彼女もいなければ、友達もいない。もう自分の居場所なんてさっぱり分からなかった。でも音楽は好きだし、音楽関係の職業に就けたらいいなーぐらいの事は頭の片隅にあったかもしれない。
そんな19才のある日、確かこんな時期だったと思う。僕のバイト先に森純太君が突然現れて「お前、バンドに入れるから」。
色んな事が交錯したこの下北。そして、またこの下北の喫茶店にいる僕。
この交差点にやってきて、また来年はどんな道へ進むんだろう!!
○月×日
『ロック画報』
『ロック画報』というマニアな本を買った。
なぜなら“RC特集”だったから!
しかも、キヨシローさんと、元メンバーの破廉ケンチさんの共同インタビュー!これはRC好きなら、たまらない企画なのだ!本邦初!そして、チャボさんのインタビューまで!そして三宅さんも!おまけに、フォーク時代のライブがCDになってのおまけつき!もう「!」だらけの本なのだ。
これほどまでにRCを掘り下げた企画は読んだ事がない。
バンド時代のディレクターの森川さんのインタビュなど、当事者、当時のライブを経験しきた人達の声、それらを読んでるとまたまた昔の音源を聴きたくなった。そして、自分がRCの歴史の中でいつ参加し始めたのかも良く分かった。
デビューしてから、約12年後ぐらいしてからかな。それも凄いけど、オレもデビューしてもう12年は経っている(笑)。
最近音楽雑誌も読まなくなったけど、こういうのって、くすぐられる!『ロック画報』さん、がんばれ!
元来“〜ながら族”な僕は、電気をつけたり、音楽をかけたり、混沌とした中で寝るのが好きなんだけど(笑)、電気代ももったいないからラジカセや、ランプにタイマーを付けてるんだが、最近テレビをつけ“ながら”寝るのが気持ちよくなっちゃった(笑)。だから、テレビにもDVDにもタイマーつけなきゃ!タイマーだらけになるな。
○月×日
音のプロ
遊び方がどんどんヘタになってきてる。
子供の頃、日曜が来たり、夏休みが来るとあんなにドキドキしてたのに....。
「休みの日は家で寝てたい」っていう大人の言葉が信じられなかったのに....。
家とか、広場とか、空地とか、工事現場とか、ああいう何でもない空間をアイデアをふり絞って、ロマンチックな場所に変えて、遊んでたのに....。学校がある日だったら、4時ぐらいから日が暮れる数時間を思いっきり遊んだのに....。
極端な話、マイケルジャクソンがチンパンジーを飼ったり、自宅に遊園地を作ったり、少年と仲良しになったり、動物園を借り切って大はしゃぎしてるのを、マスコミは面白可笑しく書き立てるが、あれこそ実は究極の男の姿なんじゃないか?とさえ思ってしまう。
アポを取らずに、“ピンポ〜ン”ってチャイムを鳴らして土足で踏み込めた、あの頃が懐かしい(笑)。今でも田舎の方に行くと近所の人が結構土足で上がり込む姿を見かけるが、あれこそが本来、人間社会、村社会のあるべき姿なのかな?
プライベートは確かになくなるけど、変なストーカーや、少年犯罪とかは撲滅しそう。
今日は僕のプライベートスタジオにマスタリングエンジニアの原田さんが来てくれた。
マスタリングっていうのは、僕らが作った音を最終的にレベルを揃えて、加工して、曲順を繋げて、曲間を決めて、いわゆるCDになる最終工程の事。マスタリングエンジニアは通常のエンジニアと比べて、より職人っぽいイメージかな?マスタリングの時にしか会うことがないので、大体年に数回しか会う機会がない。
だけど、原田さんはここ数年マスタリングをお願いしてるので、会う機会が増えていたのだ。それにしてもプライベートスタジオにマスタリングエンジニアを呼んだアーティストは僕ぐらいだろう(笑)。プライベートスタジオの話をしていたら興味を持ってくれて「どうも低音のバランスが悪いんですよ」って話したら「行ってみたいです」って言ってくれて、本当に来てくれたのだ。
そして、コージーコーナーのケーキをお土産に原田さんが来てくれ(笑)、さっそく聴いてもらった。そして、スピーカーの向きを変えたり、スピーカースタンドを変えてみたり、スピーカーを支える台を変えたり、ネジを締めたりしていくうちに、みるみる音が変わっていく!!!
そして、最終的には3つあったスピーカーが、バランス良く鳴るようになったのだ!イッツアハラダマジック!
原田さんは、昔ソニーにいて、全盛期の松田聖子(聴きまくったな〜!)など始め多くのアーティスト(特に達郎さん!)を手掛けていて、さすが音のプロって感じで、的確に音のバランスを説明してくれた(殆ど理解できなかったが(笑))。
いや〜、こういうのって盛り上がるんだよねー。
またこれからここでのレコーディングが楽しみになってきたぞ。
○月×日
OLD IS NEW!
最近、『文春』『SAPIO』とか読んでるんだけど、でも読むといかに日本が情けなくなっているかが分かってしまって、最後は読む気が失せる(笑)。しかし、日本はもっと近代史を若者に教えるべき。オレはかなりの歴史通だと思っていたんだけど、近衛文麿とか、ルーズベルトとか、ハル国務長官とか、東条英樹とか関東軍とか、全然勉強した記憶ないもん。これはチョット異常だね。
キヨシローさんに以前「何で自転車に乗り始めたんですか?」って聞いたら、「最近の生産ラインに乗っただけの車に興味がなくなった」って言ってた。僕もひょっとして、近代文明のピークは60年代で終わってんじゃないか?とずっと思ってて、キヨシローさんの言葉に反応してしまった。
車もそうだけど、楽器にしても、オモチャにしても、時計、カメラ、オーディオにしても、何で5、60年代のものが未だにプレミアがつくんだ?って考えた時、単なる骨董品という考え方もあるだろうけど、本当にお金(コスト)を掛けて、いいモノを作ってた時代だったんだと思う。
何でもモノつくりに“コスト”という概念を持ち込んだのはトヨタらしい(やれやれ)。そういうキヨシローさんの言う“生産ライン”にのった、魂のない製品って、魅力がないだけじゃなく、それを使って、見て大きくなる子供達への影響がでかいと思う。
極端な話、ピカソが作った陶器でご飯を食べて育つ子供と、100円ショップで買った陶器でご飯を食べて育つ子供の、感覚は大人になって大きく変わるはず。それは高いものを買うとかじゃなく、色彩とか、造形って、物凄い影響を与えると思うからだ。
音楽だって、ビートルズから何が進化してるんだ?
ポールマッカートニーを観終わっての第一声は「オレ達が将来“ポールを観た”って言うのは“先祖がモーツァルトを観た”っていうのと同じぐらいの価値があるんじゃないか」って事。テクノロジーは進化してあの頃なかった機材や、ジャンルは存在する。
でも、ビートルズと比べて何が進化してるんだろう?一歩も前に進んでないじゃない!
僕らでいうと何で5、60年代のギターを買うのか?古くて価値があるからだけではない。現代のギターと比べると情けないほど音がいいからに過ぎない。古いだけなら、新しいギターをレコーディングでは使うはず。レコーダーも、今や金持ちのボンボンなら親にねだれば買ってもらえるほどの値段でワールド基準のものが買える。スペック的にはもうアマチュアもプロも存在しない。
でも、僕は音楽への畏敬というか、敬意というか、5、60年代の職人達が“コスト”を掛けて作った、いいモノを、魂、息吹みたいなものを、できるだけ現代に投影しながら、未来に進みたい。たとえ「比べても何にもわかんない!」と言われても(笑)。
○月×日
『この世界に生きて』
矢野さんのアルバム『この世界に生きて』が出た。
今回のアルバム、本当にいいと思うので皆さん是非聴いてみて!
今年は、『COSMOS』『ユズモア』『この世界に生きて』と、非常に質の高いモノが創れたって事が自分の中で凄く大きな事だった。
そして、それらは到達でもあると同時に、出発って気もする。もっともっと素晴らしい創造の世界への!
『COSMOS』が終わって、イベントがあって『キヨシローに憧れて』を作って、今またレコーディングして、いいモノができそうだし、ゆずの2人とも『ユズモア』が終わって、彼らのツアーが終わってから、3人だけで集まって原点に戻って(いやいや3人だけなんて原点よりもレイドバックだな!)デモ作りをして、スタジオのゴミを分別したり(笑)、3人でスケジュールの調整をして、ワイワイやったり。
矢野さんの『この世界に生きて』が終わっても、また謙二とかと集まって曲を作ったり......、充実したモノを創って、そこで息切れするんじゃなくて、そこから更に次の段階へ行けてる“感じ”が凄く気持ちいいし、今年という年を表してると思う。
音楽なんて、12個しか音がないし、やれることなんて大きくもなく、いわば陶器職人や宮大工みたいなもので、えらく地味で変化の差が見えにくいジャンルだと思う。でも、その12個の音の宇宙の中で、何十年も音を紡いでいるうちに到達できる事や、熟すものもあるんだろうな。
そんな意味でも今年は僕にとって、とてもポイントになる年だったと思う。
『ビッチェズ・ブリュー』を出す前の年の『イン・ア・サイレント・ウエイ』ってとこだな!うまい!
↑分からない方はどうぞ流してください(笑)